【ウマ娘】トウカイテイオーのステータスと評価【アプリ】
「ウマ娘 プリティーダービー」に登場する、「トウカイテイオー」のステータスやプロフィールについての情報です。
トウカイテイオーのプロフィール †
身長 | 150cm | 体重 | 増減なし |
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3サイズ | B77/W54/H76 | 誕生日 | 4月20日 |
声優 | Machico | 所属 | チーム〈スピカ〉 |
- 91年 日本ダービー
七冠の父のプレッシャーに勝ったトウカイテイオー
天才はいる。悔しいが。
―2011年JRA日本ダービーCMより
- 「ウマ娘 プリティーダービー」に登場するウマ娘で、スペシャルウィークやサイレンススズカと同じくチーム〈スピカ〉の一員。チームに入った理由は「楽しそうだから」。
- 実在した競走馬、トウカイテイオーをモチーフにしているウマ娘。スペシャルウィークのように、前髪にメッシュが入っている。
- 他のウマ娘と比べると、やや小柄だが活発で明るく、また歌とダンスが上手い。
- 史実では父であるシンボリルドルフに憧れており、無敗で三冠ウマ娘になることが目標。
アニメでのトウカイテイオー †
トウカイテイオーのステータス †
SSR | SR | R | N | |
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筋力 | ||||
速力 | ||||
持久力 | ||||
精神力 |
史実 †
- トウカイテイオーは、1984年の三冠馬で80年代最強馬、「帝王」と称されるシンボリルドルフを父に持つ。父の異名「皇帝」もあり、出生直後は「テイオー(帝王)」と呼ばれ、幼名は「ハマノテイオー」とつけられた。
- 1990年12月1日、安田隆行を鞍上に迎え、中京競馬場の新馬戦でデビューし、2着に4馬身差をつけて初戦勝利。また、年末のシクラメンステークスと、翌年1991年1月に開催された若駒ステークスで連勝する。
- また、クラシック第1戦皐月賞で、GI優勝馬のイブキマイカグラとともに単枠指定を受け、当日は1番人気に支持された。このレースでは、最後の直線で早めに抜け出し優勝、クラシック初戦を制している。そして5月の日本ダービーも制し、親子での無敗三冠馬誕生かと思われたが、その日本ダービーで骨折し、菊花賞は見送られた。
- 1992年は、安田隆行の調教師転向に伴い、父シンボリルドルフの主戦だった岡部幸雄が受け持った。初戦である産経大阪杯を勝利後、天皇賞(春)にて、前回王者メジロマックイーン&武豊に挑戦するも、マックイーンのロングスパートについていけずはるか後方の5着敗退。無敗記録が止まった上に後日また骨折が判明。復帰戦となった天皇賞(秋)でも、「馬鹿逃げコンビ」と呼ばれたメジロパーマー(鞍上・藤田伸二)とダイタクヘリオス(鞍上・岸滋彦)による暴走に乗せられスタミナ切れを起こし、7着と惨敗。
- そして迎えた11月29日のジャパンカップにて、日本馬では最上位ながら生涯最低となる5番人気にとどまった。おまけに子の年から国際指定競走となり、世界各国から強豪が参戦した。しかし、このレースに於いて4、5番手をスムーズに追走、残り200m地点で外から抜け出し、ゴール前での競り合いを制して優勝する。この勝利により、日本馬の勝利は1985年の父シンボリルドルフ以来7年ぶりとなり、同時にトウカイテイオーは日本競馬史上最初の国際GI優勝馬となったのである。
- しかし、12月の第37回有馬記念でスタート直後に脚を滑らせ左中臀筋を痛めたことにより休養。3月に帰厩するも、今度は宝塚記念競走10日前に左前トウ骨の剥離骨折が判明して再休養に入る。
- 結局、復帰戦となったのは、同年の第38回有馬記念となったが、前年も騎乗した田原成貴騎手を鞍上に迎えた一年振りのレースでビワハヤヒデ(岡部幸雄騎乗)以下を下し優勝。前回の出走から中363日でのGI勝利を達成し、長期休養明けGI勝利の最長記録となっていて、現在も破られていない。田原成貴騎手は検量後のインタビューで「日本競馬の常識を覆したトウカイテイオー、彼自身の勝利です。彼を褒めてやって下さい」と涙ながらに称賛した。
1993年12月26日 中山競馬場
実況:堺 正幸(フジテレビ 現フリーアナウンサー・鉄道ジャーナリスト)
※堺アナは偶然にも、皐月・ダービー・JC・有馬記念と、トウカイテイオーが勝利したGI全てで実況を担当していた。
- 翌年も調教を続けたが、再び骨折が判明した為、無念の引退。結果的に有馬記念が引退レースとなった。程なくして顕彰馬に選出され、親子2代の顕彰馬となった。
- 種牡馬としてはマイルCSを勝ったトウカイポイント、かしわ記念を勝ったストロングブラッド、阪神JFを勝ったヤマニンシュクルと3頭のGI・JpnI馬を輩出。母父としても豪州GI馬ブレイブスマッシュと、父より好実績を残した。
- 2013年、心不全により25歳の生涯を終えた。
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