【ウマ娘】サイレンススズカのステータスと評価【アプリ】
「ウマ娘 プリティーダービー」に登場する、「サイレンススズカ」のステータスやプロフィールについての情報です。
サイレンススズカのプロフィール †
身長 | 161cm | 体重 | 増減なし |
---|---|---|---|
3サイズ | B70/W53/H79 | 誕生日 | 5月1日 |
声優 | 高野麻里佳 | 所属 | チーム〈スピカ〉 |
- 98年 宝塚記念
最速の機能美 サイレンススズカ
速さは 自由か孤独か
―2011年JRA宝塚記念CMより
- 「ウマ娘 プリティーダービー」に登場し、クールで儚げな雰囲気のあるウマ娘。
- 実在した競走馬、サイレンススズカをモチーフにしている。
- 名前の通りに物静かで、常に走る事を考えている。また、見ている人に夢を与えられるウマ娘になるのが目標。
- 主人公であるスペシャルウィークが東京に出てきて、最初に見たレースに出場。スタート直後から先頭に立ち、最後までぶっちぎりで逃げ切る「大逃げ」というレーススタイルを見せる。
- 当初はチーム〈リギル〉に所属していたが、担当トレーナーとのそりが合わず、チーム〈スピカ〉に移籍する。
- 学園寮ではスペシャルウィークのルームメイトとなる。
アニメでのサイレンススズカ †
- アニメ・ウマ娘でもその強さは健在。大逃げが得意。
- 第7R、11月1日、秋の天皇賞でレース中に左足を故障、そのまま意識を失う事態に。転倒すれば命を落とす危険性もあった。しかし、トレーナーの的確な指示、スペシャルウィークの迅速な対応によって、史実のような最悪の事態は免れた(左足の骨折だけで済んだ)。
- リハビリを経て第11R、ジャパンカップ前日のオープン特別にて、1年1ケ月(史実からは20年)の時を経て見事レースに復帰しタイレコードで勝利。アニメ・ウマ娘第2の神回と言われるほど、感動の内容となっている。
サイレンススズカのステータス †
SSR | SR | R | N | |
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筋力 | ||||
速力 | ||||
持久力 | ||||
精神力 |
史実 †
- 1994年生まれ。父はサンデーサイレンス、母はワキアという馬の2番仔。
- デビューは1997年2月1日の新馬戦で、2着の馬に7馬身差をつけて圧勝する。この時の勝利の大きさから、「遅れてきたサンデーサイレンスの大物」や「ダービーはこの馬」とも評価されていた。
- その後は中々勝つ機会が無かったが、サイレンススズカのレーススタイルである「大逃げ」が確立されていくこととなる。
- 1998年になると、出だしから何馬身もつけていく「大逃げ」で連勝していき、G1レースにも挑戦する。その後の宝塚記念(この日は武豊がエアグルーヴに騎乗した為、南井克己が代打で騎乗)では、抑え気味のレースながらも初勝利を飾る。
1998年7月12日 阪神競馬場
実況:杉本清(関西テレビ)
- さらに同年の毎日王冠では、エルコンドルパサーやグラスワンダーらを振り切り、
「どこまで行っても逃げてやる!!」
と言わんばかりに1着でフィニッシュ。天皇賞(秋)に駒を進める。
1998年10月11日 東京競馬場
実況:青嶋達也(フジテレビ)
- しかしその1998年11月1日の秋の天皇賞、圧倒的に1番人気を獲得してレースがスタートするが、第3コーナー・東京競馬場名物の大ケヤキを過ぎたあたりで突然失速。左前脚の手根骨粉砕骨折を発症し、競走を中止する事態に。
その後に予後不良と診断され、サイレンススズカは競馬ファンの想いも虚しく、安楽死の措置をとられることとなる。
「逃げ馬・1番人気は勝てない」という天皇賞(秋)のジンクスが、最悪の形で起きてしまった。まさしくNHKの競馬中継での、
「府中の2000に魔物がいました!!」(by 福澤浩行 現・NHK放送センター東京アナウンス室エグゼクティブアナウンサー)
とばかりに。
1998年11月1日 東京競馬場
実況:塩原恒夫(フジテレビ、現・BSフジ編成局広報担当局長)
このフジテレビの中継で塩原アナが発した、
「沈黙の日曜日」
というフレーズは、現在でも競馬ファンの中で語り草となっている。
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