【ウマ娘】ライスシャワーのステータスと評価【アプリ】
「ウマ娘 プリティーダービー」に登場する、「ライスシャワー」のステータスやプロフィールについての情報です。
「ライスシャワー」のプロフィール †
身長 | 145cm | 体重 | 増減なし |
---|---|---|---|
3サイズ | B75/W51/H76 | 誕生日 | 3月5日 |
声優 | 石見舞菜香 | 所属 |
- 93年 天皇賞(春)
極限まで削ぎ落した体に、鬼が宿る。
王者・メジロマックイーンの三連覇を阻んだ、漆黒のステイヤー。
ヒールか、ヒーローか。悪夢か、奇跡か。そのウマ娘の名は…
―2012年JRA 天皇賞(春) CMより
- 素直で純粋な性格のウマ娘。
自分がいると周りが不幸になってしまう…と思い込んでおり、他人を避けている。
とても気弱で何かあるとすぐに泣いてしまうが、誰かのためなら一生懸命頑張る事ができる健気な少女である。
アニメでの「ライスシャワー」 †
- OVA「BNWの誓い」にて登場。
- 菊花賞馬からなる「チームB」の第一走者としてミホノブルボン(92年皐月賞馬)、アイネスフウジン(90年ダービー馬)としのぎを削る。
- この時、実況席のグラスワンダーから「黒い刺客」と評された(ライスシャワー・グラスワンダー、さらには実況のエルコンドルパサー(NHKマイルカップまで)は、3人とも的場均とのコンビで有名だった)。
「ライスシャワー」のステータス †
SSR | SR | R | N | |
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筋力 | ||||
速力 | ||||
持久力 | ||||
精神力 |
史実 †
- 1991年から95年にかけて活躍。特に3000m以上の長距離を得意とする生粋のステイヤー(主に長距離のレースを得意とする馬)であり、京都競馬場で開催される長距離G1で3勝を挙げている。
- 1991年に、美浦の飯塚好次調教師の厩舎に入厩。
「この馬に触れた人に幸福が訪れるように」
という意味を込めて名付けられたが、レースではその真逆の道を歩んだ。
的場均が主に手綱を握った。
- 92年、皐月賞8着も日本ダービーでは2着と奮戦。迎えたクラシック最終戦・菊花賞で、ミホノブルボンの無敗三冠を阻止した。
1992年11月8日 京都競馬場
実況:杉本 清(関西テレビ)
- 続く93年天皇賞(春)では王者メジロマックイーンに挑戦し勝利。マックイーン同レース3連覇・武豊騎手の同レース5連覇・武騎手3週連続G1勝利を全て阻止と、菊花賞と合わせてヒールのイメージが定着し、アニメでグラスワンダーが語る通り「関東の刺客」と称された。
1993年4月25日 京都競馬場
実況:杉本 清(関西テレビ)
- ここから一時期、絶不調に陥り、連覇のかかった94年天皇賞(春)の直前で骨折。
引退も検討されていたが、長距離しか結果を残していない上、小柄な馬体もあって、種牡馬での受け入れ先がなく、現役続行を余儀なくされた。
だが同年有馬記念で3着に入り、同レース3年連続3着の珍記録を持つナイスネイチャの4年連続記録を阻止し、レコードブレイカーとしての威厳を辛うじて守り、復活の足掛かりを掴んだ。
- そして迎えた1995年の天皇賞(春)で、蛯名正義騎乗のステージチャンプとの接戦を制し、G1通算3勝目。見事復活を果たした。
これを機に競馬ファンのライスシャワーへの評価は、様々な記録を阻止し続ける「ヒール」から、挫折を乗り越え復活した「ヒーロー」へと転換した。
1995年4月23日 京都競馬場
実況:杉本 清(関西テレビ)
- こうして陣営は、距離の短い宝塚記念への出走を決定。
当初は回避して休養に充てる予定だったが、以下の要因が重なり、参戦を決めた。
1:中距離レースで勝利すれば繁殖生活でも有利に働くと判断
2:斤量がそれまで軽かった
(前3走は60kg→59kg→58kgだったが今回は56kg)
3:ファン投票で1位を獲得
4:この年は京都競馬場で代替開催となった
(本来、宝塚記念は阪神競馬場で開催されているが、1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)で壊滅的な被害を受け閉鎖)
5:G1勝利は全てその京都競馬場で挙げている
- しかし、天皇賞(春)での疲れが抜け切らない状態で出走した為、この決断が仇となり、異変を察知した的場均騎手は勝利よりも完走を目指し、スタート後も慎重に走らせていたが、第3コーナーで自らスピードを上げた直後に転倒。
左前脚粉砕骨折を発症した上、診療所に運ぶ事も出来ない程の重傷で、その場で予後不良の診断とブルーシートを張った上で安楽死処分が行われた。
1995年6月4日 京都競馬場
実況:杉本 清(関西テレビ)
解説:田原成貴(93年有馬記念覇者(トウカイテイオー))
- しかもこのレースでは、負傷馬が多発している。
優勝したダンツシアトル(鞍上、村本善之)は高速馬場での日本レコードで激走した反動で屈腱炎が再発、最下位でゴールしたナリタタイシン(鞍上、山田泰誠)もこのレースの後に屈腱炎が再発し、共に引退に追い込まれた。
3着のエアダブリン(鞍上、四位洋文)と14着のネーハイシーザー(鞍上、塩村克己)も屈腱炎を発症し長期休養を余儀なくされている。
淀を愛した、孤高のステイヤー †
- これは、JRAが毎年製作しているポスター「ヒーロー列伝」のライスシャワーのキャッチコピーである。
「淀」とは京都競馬場の別名、「ステイヤー」とは主に長距離のレースを得意とする馬のことを指す。
ライスシャワーは生涯3つのG1勝利を全て京都競馬場で上げており、そして最後は京都で散った。
京都競馬場の職員たちの発案により、翌1996年9月7日にはライスシャワーの遺髪が収められた記念碑が京都競馬場の馬頭観音のそばに建立され、今なお献花などが途切れることがない。
- 三冠・三連覇阻止でヒールのイメージが強く、2年ぶりの勝利でようやくファンに広く愛されるようになった矢先での悲劇であった。
ウマ娘として生まれ変わったライスシャワーの性格はこれに因るところが大きいと言えるだろう。
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