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大﨑洋の「紳ちゃん……、ごめんな」

竹中功

著者:竹中 功

1959年大阪市生まれ 1981年吉本興業株式会社入社後、宣伝広報室を設立、『マンスリーよしもと』初代編集長、よしもとNSCの開校に携わる。よしもとクリエイティブ・エージェンシー専務取締役、よしもとアドミニストレーション代表取締役などを経て2015年7月退社。
現在は作家として謝罪関連から、広報、コミュニケーションの専門家としての出版多数。また講演会やセミナーを通してビジネス人材の育成や危機管理、広報、メディアリレーションなどに関するコンサルタント活動を行う。
https://www.mdnboys.com/profile

本サイトは竹中 功氏による著書「吉本興業史」の内容を、著者及び株式会社KADOKAWAより許諾を得て一部掲載しています。お買い求めは上記リンクが便利です。
※ 図版・テキストのレイアウト・表現など、本書と本サイトの内容は一部異なる場合があります。

波紋を呼んだ大崎の発言

 紳助引退後、年が明けた2012年1月に大﨑社長(現・会長)は「いつか吉本興業に戻ってきてもらえると信じている」とも口にした。

 この発言は当時、大きな問題として取り上げられた。社内総会のあと、マスコミ向けに談話を発表していた際、新聞記者に漏らされたひと言だったのだ。この部分ばかりが報道されたのである。当時の大﨑は「あんなふうに扱われるんやったら、俺はもう、誰ともしゃべれへん」とこぼしていたものだ。

大﨑の心中

 大﨑はまっすぐな人でもある。

 年齢でいえば私より5、6歳ほど上だ。私が入社した年の夏にザ・ぼんちの武道館公演があり、武道館の楽屋ではじめて顔を合わせた。

 (ぜん)ちゃんという先輩を「探してこい」と言われたので、「顔を知りません」と返したところ、「あほんだら、人に聞いて探してこい」と怒鳴られたのが最初のやり取りだった。乱暴な言い方ではあっても、理不尽だとは思わなかった。誰かに聞けばわかるのだから、言い訳した私が悪かったのだ。

 以来、大﨑とは35年近く、先輩後輩、ボスと部下として仕事をしてきた。私にとっては「アニキ」とも「センセイ」ともいえる存在である。トリッキーなところもあり、思いつきですぐに人に命令したりもするけれど、決断力と実行力は並外れている。厳しいところはあっても、情に厚い面もある人だ。

 前出『笑う奴ほどよく眠る』の中では、大﨑と紳助が問題への対処方法を話し合おうとしたとき、紳助のほうから「じゃあ、引退します」と言い出したのだと書かれている。紳助の引退会見後には、去り行く紳助に対して「紳ちゃん……、ごめんな。僕ら、もっと強くなるわ」と声をかけてもいたようだ。大﨑の心中が察せられる場面だ。

試し読みページ一覧

はじめに
日本中を騒がせた二つの記者会見
・宮迫博之と田村亮の闇営業謝罪会見
・吉本の内部事情をさらけだすよな2時間半
「ビッグボス」がいなくなった日
・「お家騒動」に巻き込まれた中田カウス
・林正之助会長の逝去
「創業家当主」が起こした、お家騒動
・林マサ氏によるお家騒動
・中田カウスとマサ氏の関係
・キナ臭かった当時の吉本
「血だらけ」になっていた中田カウス
・未だ犯人の判明しない中田カウス襲撃事件
・襲撃を受けた中田カウスのその後
TOBにより林家、暴力団関係者と決別
・吉本興業の改革/創業家の排除
島田紳助の後輩への想い
・一世を風靡した島田紳助/島田紳助の引退
大﨑洋の「紳ちゃん……、ごめんな」
・波紋を呼んだ大崎の発言/大﨑の心中
「吉本興業vs講談社」という図式
闇営業騒動の余波
・カラテカ入江の契約解除
・加藤浩次と田村淳の独立
デビュー前のダウンタウン物語
NSC一期生という「ファミリー」
和会系暴力団組長の誕生パーティ出席事件

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