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島田紳助の後輩への想い|島田紳助の引退

竹中功

著者:竹中 功

1959年大阪市生まれ 1981年吉本興業株式会社入社後、宣伝広報室を設立、『マンスリーよしもと』初代編集長、よしもとNSCの開校に携わる。よしもとクリエイティブ・エージェンシー専務取締役、よしもとアドミニストレーション代表取締役などを経て2015年7月退社。
現在は作家として謝罪関連から、広報、コミュニケーションの専門家としての出版多数。また講演会やセミナーを通してビジネス人材の育成や危機管理、広報、メディアリレーションなどに関するコンサルタント活動を行う。
https://www.mdnboys.com/profile

本サイトは竹中 功氏による著書「吉本興業史」の内容を、著者及び株式会社KADOKAWAより許諾を得て一部掲載しています。お買い求めは上記リンクが便利です。
※ 図版・テキストのレイアウト・表現など、本書と本サイトの内容は一部異なる場合があります。

一世を風靡した島田紳助

 たいへんな決意があってのTOBを断行してもなお、暴力団との関係は断ち切れなかった。それを示してしまうかたちで島田紳助が引退したのが、2011年(平成23年)だ。

 紳助は明石家(あかしや)さんまと同じ1974年(昭和49年)に吉本に入社して、1977年(昭和52年)に「島田紳助・松本竜介(まつもとりゅうすけ)」で漫才デビュー。「ツッパリ漫才」という新しいジャンルを生み出し、漫才ブームの中で絶大な人気を誇った。

「努力するのは当たり前。それ以上のことをしなければ勝てない」が持論だった。ネタ帳にも近い研究ノートは、何十冊も書いていた。〝何に興味を持って、次に何をするのがいいか。誰に会いたいか〟といったことについても常に、頭をフル回転させていた人である。ツッパリ漫才にしても、計算で生み出されたものだといっていいはずだ。

 紳助・竜介は1985年(昭和60年)に解散した。解散会見においては「サブロー・シローやダウンタウンが出てきて、もう漫才は辞めようと思った」とも発言している。

「サブロー・シロー」の人気はこの頃、ピークに達していたといえる。一方、「ダウンタウン」はまだ全国的には無名に近かった。このときの紳助の発言で注目されたこともブレイクのきっかけになっている。

 この日、広報マンとして会見の司会進行をしていた私としては、NSC一期生であるダウンタウンの名が出されたのは、NSC設立に関わっていた事もあって、申し訳ないが、ガッツポーズをしたいほどうれしいことだった。千代(ちよ)富士(ふじ)関が現役を引退した際、「貴花田(たかはなだ)(のちの貴乃花(たかのはな))と当たって、そろそろ潮時だと思った」と語るのはこの6年後になる。それに先駆けた言葉だったともいえる。

島田紳助の引退

 紳助・竜介解散後も、紳助の活躍は続いた。

 2004年(平成16年)、吉本興業の女性マネージャーに注意をしていた際、暴力をふるったことが表面化すると、謹慎することになった。

 だが、このときは約2か月後に復帰している。

 当時、私は吉本興業の子会社である「ファンダンゴ」(2000年設立、2006年には大阪証券取引所ヘラクレス市場に上場)の社長になっていたのだが、「そっちはもうええから、紳助の復帰のほうをやってくれ」と会社から命じられている。このとき、「広報室長」という新たな肩書も与えられていた。

 会社としてそこまで復帰をバックアップしたように、タレントを簡単に切ったりしないのが吉本興業だといえる。「商品力」を考えてのことでもあるが、会社と芸人の信頼関係に左右される部分も大きい。

 復帰後の紳助は、司会者として確固たる地位を築いていった。

 そのようなときに、暴力団関係者との交際が発覚したのだ。

 そこで紳助は、引退を選んだ。

 暴力団関係者のメールの中に紳助とやり取りしているものが見つかったのが、直接的なきっかけだった。法的に問題が問われる行為があったわけではない。謝罪や謹慎をしていれば、引退までする必要はなかったはずだ。それを考えたなら、潔すぎる決断だったといっていい。

 引退の会見では、「けじめをつけるため」と言いながらも、こう続けた。

「自分の中ではセーフと思っていたが、芸能界のルールとしてはアウトだった」

「後輩には同じ過ちを繰り返させたくない」

 後輩たちがこの言葉の重みを()みしめていたなら、令和の騒動は起こらなかったのではないだろうか。この引退会見の司会進行も私が務めさせてもらったが、在籍中の会見の中で一番感慨深いものだった。

試し読みページ一覧

はじめに
日本中を騒がせた二つの記者会見
・宮迫博之と田村亮の闇営業謝罪会見
・吉本の内部事情をさらけだすよな2時間半
「ビッグボス」がいなくなった日
・「お家騒動」に巻き込まれた中田カウス
・林正之助会長の逝去
「創業家当主」が起こした、お家騒動
・林マサ氏によるお家騒動
・中田カウスとマサ氏の関係
・キナ臭かった当時の吉本
「血だらけ」になっていた中田カウス
・未だ犯人の判明しない中田カウス襲撃事件
・襲撃を受けた中田カウスのその後
TOBにより林家、暴力団関係者と決別
・吉本興業の改革/創業家の排除
島田紳助の後輩への想い
・一世を風靡した島田紳助/島田紳助の引退
大﨑洋の「紳ちゃん……、ごめんな」
・波紋を呼んだ大崎の発言/大﨑の心中
「吉本興業vs講談社」という図式
闇営業騒動の余波
・カラテカ入江の契約解除
・加藤浩次と田村淳の独立
デビュー前のダウンタウン物語
NSC一期生という「ファミリー」
和会系暴力団組長の誕生パーティ出席事件

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