関羽
三国志の武将「関羽」の歴史や生涯についての情報をまとめたページです。
関羽の概要 †
関羽は蜀の将軍です。
劉備、張飛?とは桃園の誓いを結んだ義兄弟で、共に蜀の建国のために戦いました。
長い髭をたくわえており、美髯公とも呼ばれています。
三国志演義においては、青龍偃月刀と呼ばれる大薙刀を使って戦います。
苗字 | 関 |
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名前 | 羽 |
字(あざな) | 雲長 |
生年〜没年 | 162年〜219年 |
関羽の歴史・生涯 †
184年、黄巾の乱にて劉備、張飛?と出会い、ともに桃園の誓いを結び、義兄弟となりました。
191年、「陽人の戦い(虎牢関の戦い)」にて反董卓連合軍として参戦。
汜水関で華雄を討ち取り、劉備・張飛と共に呂布?と戦いました。(三国志演義)
199年、徐州で劉備は曹操に反乱を起こしますが、撃退されます。
関羽は曹操軍に降り、一時的に客将となります。
200年、「白馬の戦い」にて、曹操軍として参戦。顔良を撃破します。
曹操は顔良討伐の功績から関羽に恩賞を与えようとしますが、関羽はこれを辞退。曹操へ別れの手紙を残し、劉備の元へ帰ります。
三国志演義では、曹操から名馬「赤兎馬」をさずかっており、劉備の元へ帰る際もこの馬に乗って千里の道を行きました。その後も関羽の愛馬として重用されています。
214年、劉備が益州を平定し入蜀を果たすと、関羽は荊州の統治を任されます。
218年、曹操へ反乱を起こした侯音と手を組みました。その後、曹操は樊城へ進軍します。
219年、軋轢を生んでいた孫権による背後からの急襲を受け、樊城を落としきれないまま撤退します。
その後、退路を絶たれた関羽は息子の関平?とともに孫権に捕らえられ、斬首されます。
関羽の首は曹操の元へ送られ、丁重に葬られました。
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