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平壌の“冷麺”は「苦難の行軍」の産物

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著者:黒田勝弘

1941年、大阪生まれ。1964年、京都大学経済学部を卒業後、共同通信社に入社。1978年、韓国・延世大学留学後、共同通信ソウル支局長に。1989~2011年、産経新聞ソウル支局長兼論説委員。1992年、ボーン・上田記念国際記者賞、2005年には菊池寛賞および日本記者クラブ賞を受賞。現在、産経新聞ソウル駐在客員論説委員。著書に『韓国 反日感情の正体』(角川ワンテーマ21)、『韓国人の歴史観』(文春新書)、ほか多数。共著に『金正恩の北朝鮮 独裁の深層』(角川ワンテーマ21)など。在韓40年。

本サイトは黒田勝弘氏による著書「韓めし政治学」の内容を、著者及び株式会社KADOKAWAより許諾を得て一部掲載しています。お買い求めは上記リンクが便利です。
※ 図版・テキストのレイアウト・表現など、本書と本サイトの内容は一部異なる場合があります。

平壌冷麺が黒かったのは製粉の仕方が悪いから?

 ここで板門店ディナーで出された「平壌冷麵」の色合いのナゾにもどる。本来(?)もっと白っぽいはずの冷麵が、なぜあんなにどす黒かったのか。これには2つの説がある。1つは筆者が親しくしている脱北者から聞いた話である。

 その知人はソウル中心街で北朝鮮料理専門店『ヌンラパプサン』を経営している李愛蘭(イエラン)氏。
「ヌンラ(綾羅)」は平壌の地名で「パプサン」はお(ぜん)の意味。彼女は北の大学で食品工学(醱酵(はっこう)学)を勉強し、日本の朝鮮総連が北に建てたビール工場に勤務したこともある。ゆえあって脱北し、食への知識と関心から北朝鮮料理店を開業し北朝鮮料理研究所も開いた。北朝鮮系料理の新メニュー考案にも余念がない。

 一方で対北人権活動家でもある。米国務省の「国際勇気ある女性賞」を受賞した際、ワシントンでオバマ大統領のミシェル夫人と一緒に撮った写真が店に飾ってある。

 ついでにいえば、彼女は対北強硬派で、しばらく前から店のレジ横に「金正恩暗殺懸賞金1億ドル募金」と書かれたぶっそうな募金箱がおいてある。「金正恩を亡き者にした人には
1億ドル差し上げる」というのだ。若干ブラック・ユーモア的だが、馴染(なじ)み客の筆者としては日本の新聞コラムで紹介することで協力(?)させてもらった。

 ところが文在寅政権下で、金正恩との板門店首脳会談が開かれるなど対北融和ムードが広がるなか、募金箱には紙がかぶせられてしまった。「金正恩暗殺」どころか、韓国では逆に彼女のような対北活動家が親北派によるテロに遭いかねないようなムードなのだ。脱北者ビジネスに“冬の時代”到来である。

 話はずれたが、板門店の平壌冷麵が黒かったことについて彼女に聞いてみると、実にあっさりと「ソバの実の殻が黒いので製粉の際、その色が残ったのよ。製粉の仕方が悪いからでしょうね」というのだった。たしかに日本ソバでもいわゆる“田舎ソバ”というのは黒ずんでいる。

 しかし、それにしても板門店のあれは黒すぎる。あれには田舎ソバの風情はない。ソバの殻の黒さが残った程度などといったものではない。それにあの平壌冷麵は、平壌の超有名な大型高級レストラン『玉流館(オンリュグァン)』のシェフが出向いて準備された、いわば宮廷用の冷麵ではなかったか。

 この『玉流館』の「黒い冷麵」については日本人記者の体験的証言がある。2014年、拉致(らち)問題関連の日本政府訪朝団に同行した朝日新聞の女性記者が、カラー写真とともに「麵は黒っぽく、とても歯ごたえがあった」と記録している(2018年4月27日付、朝日新聞デジタル) 。この時すでに『玉流館』の平壌冷麵は黒くなっていたのだ。

 王さまにひとしい金正恩ご用達(ようたし)のソバ粉に、製粉の悪い粉を使うはずはない。製粉に問題があるのなら、朝鮮総連に日本製の最新製粉機を届けさせればいいではないか。あれはどうも製粉の問題ではないように思う。

麺が黒いのは食用ソーダが理由

 と、引き続き疑問が残っていたのだが、韓国メディアの時ならぬ平壌冷麵特集報道のなかに、以前、平壌の『玉流館』で仕事をしたことのある脱北者の証言というのがあって、思わずヒザを打った。証言によると、ソバの麵が黒くなるのは、つなぎの粉を加えてこねる際に、食用ソーダ(炭酸ナトリウム塩?)を使うからだというのだ。

 で、なぜ食用ソーダを使うのかというと、ある時期からソバ粉につなぎのジャガイモの粉(澱粉)をたくさん使うようになり、その結果、硬くなる麵を和らげ、口当たりをよくするためだという。そして、なぜジャガイモの粉をたくさん使うようになったのか、その背景がすごい。

 北朝鮮では金正恩の父・金正日(キムジョンイル)時代の1990年代半ば、食糧難で大量の餓死者が出るいわゆる「苦難の行軍」の時代があった。そのころのことで、ソバの生産を減らしジャガイモやトウモロコシを増やすことになり、ソバ粉が出回らなくなった。その結果、冷麵にもそれまでよりジャガイモなど他の粉が多く使われ、麵が硬くなったため、食用ソーダが使われるようになったのだという。

「平壌冷麵は“苦難の行軍”で色が黒くなった」― つまりあれは北の苦難の時代の産物だというわけだ。
 筆者としては脱北者の話がどこまで本当かは保証できないが、実によくできた話である。そしてそう思いたい。そのうえでさらに、そういう歴史的、政治的背景があるのなら、色が黒いのはかえって「平壌冷麵」にふさわしいのではないか。

冷麺とダイコンの関係

 冷麵というかソバについては、韓国で耳にしたとっておきの話を最後に紹介しておきたい。韓国お馴染みの「日帝謀略神話」みたいなもので、真偽にこだわらず面白がっていただければと思うが、「ソバにはワラビと同じく精力減退効果があるのだが、日帝(日本帝国主義)は韓半島で韓国人を根絶やしにしようとソバの栽培と食用を奨励した」というのだ。

 韓国の作家から余興として聞いた。なぜ作家かというと、以前、韓国の放送作家協会のセミナーによばれたことがある。会場が現代文学の名作『蕎麦(そば)の花咲く頃』の作家・李孝石(イ ヒョソク)の故郷である江原道(カンウオンド)平昌郡(ピョンチャングン)蓬坪(ボンピョン)で、地元での恒例の「ソバ祭り」の時期だった。

 ホテルの昼食に出たソバ料理を食しながらさる長老作家が、小生の顔色を見ながらニヤニヤしてそういったのだ。ところがそれに対し別の作家が「その話は実は日帝ではなく、高麗(こうらい)時代に朝鮮半島を支配したモンゴル(元帝国)の話だよ」と反論。さらに別の作家は「そうした俗説には続きがあってね」といい「しかし韓国人は頭がいいので、ソバの精力減退成分を排除するにはダイコンが効果的だと分かって、ソバには必ずダイコンがつくようになったのさ」と。

 そういえば冷麵には必ずダイコンが添えてある。
 そこで小生も負けてはならじと「ソバはもともと消化がよくないので、日本でも昔から“おろしソバ”などダイコンと一緒によく食しますがね」と科学的(?)に一矢報い、ソバ談義に終止符を打ったのだった。

 その時の「ソバ紀行」で地元の“ソバずくめ”も探索してみたのだが、ソバ巻きやソバのお好み焼き風、トコロテン風……など伝統風のほか、なんと“ソバコーヒー”まであったにもかかわらず、ことさら冷麵はなかった。冷麵は韓国ではそれほど伝統的ではないのかもしれない。

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