- 1930年3月7日 藤永田造船所にて起工。姉妹艦「雷」も「電」と同日附で起工。
- 同年3月15日 「電(イナヅマ)」の艦名が正式に与えられる。
- 1932年2月25日 進水
- 1933年3月4日 昭和三陸地震救援のため第六駆逐隊僚艦「雷」と共に釜石へと急行。
- 1934年6月29日 済州島南方で演習中に僚艦「深雪」に衝突。「深雪」は沈没。軽巡洋艦「那珂」に曳航され、修理は呉で行われた。
- 1934年11月 「暁、響、雷、電」の姉妹艦4隻で第六駆逐隊を編成。
- 1940年11月 第一艦隊第一水雷戦隊に編入。間もなく11月から1941年8月まで石川島造船所で特定修理。
- 1941年12月4日 香港攻略戦に参加。
- 1942年1月9日 メナド攻略戦に参加。
- 同年1月20日 ダバオ湾口付近で特設運送船「仙台丸」と衝突。
- 同年1月21日 工作艦「明石」に横付けし応急修理。
- 同年1月29日 馬公市に回航され、1月30日から2月17日まで馬公工作部で修理。
- 同年2月21日 重巡洋艦「妙高」を護衛のため高雄市を出撃。
- 同年3月1日 スラバヤ沖海戦に参加。
- 同年4月3日 横須賀に回航。
- 同年5月20日 北方部隊所属。先に整備と修理を終えた「暁、響、雷」の後を追うこととなる。
- 同年7月1日 水上機部隊に編入。特設水上機母艦「神川丸」の指揮下に入る。
- 同年7月5日 駆逐艦「子日」轟沈。救援におもむいた「電」は子日生存者36名を収容。
- 同年7月7日 「電」は輸送部隊に編入。
- 同年7月10日 キスカ島攻略に従事した特設運送船「あるぜんちな丸」をキスカ島から横須賀まで護衛。
- 同年7月31日 米国潜水艦グロウラーの雷撃で大破した「霞」の救援中の「雷」から任務を継承するため横須賀を出港。
- 同年8月3日 幌筵島片岡湾に到着。「霞」の救援を開始する。
- 同年8月5日 「霞」を曳航して片岡湾を出発。
- 同年8月9日 石狩湾に到着。特設運送船「富士山丸」に「霞」を託したのち幌筵島に戻る。同じくグロウラーの攻撃で大破した「不知火」の救援のためキスカ島に向かった。
- 同年8月15日 「不知火」を曳航。その後は大湊方面で活動した。
- 同年8月28日 第三艦隊配属。南方へ回ることとなった。これに伴い、「電、暁、雷」は8月29日に大湊を出港して呉に向かった。
- 同年10月4日 「電、磯波」は「飛鷹、隼鷹」を護衛して呉を出撃。
- 同年10月9日 トラックに到着。ガダルカナル島の戦いに加わる。
- 同年10月20日 深夜、空母「飛鷹」で機関室火災が発生して戦闘航海不可能となる。「電、磯波」は「飛鷹」を護衛してトラック泊地へ向かった。また船団護衛任務に従事した。
- 同年11月9日 ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃に向かう挺身攻撃隊に配属され、トラックを出撃。
※挺身攻撃隊の戦力
戦艦「比叡、霧島」
軽巡「長良」
駆逐艦「天津風、雪風、照月、暁、雷、電、朝雲《四水戦旗艦》、村雨、五月雨、夕立、春雨、時雨、白露、夕暮」
同年11月12日深夜~11月13日未明、米巡洋艦部隊と第三次ソロモン海戦が生起。第6駆逐隊の姉妹艦「暁」が沈没。「雷」が大破。三番艦として行動していた「電」は弾片で軽微な損害を受けた。このあと「霧島、朝雲、春雨、電」の一群となって戦場を離脱した。「電」は魚雷雷撃により防空巡 洋艦1轟沈、砲撃により防空巡洋艦1中破、巡洋艦1小破という戦果を報告した。一連の夜戦で「暁」以外に「比叡、夕立」が沈没、「天津風」が中破。
一旦ガダルカナル島海域を離脱したのち前進部隊旗艦「愛宕」と合流した「霧島、電」等は、燃料補給を受けたのち重巡「愛宕」と再びガ島ルンガ泊地へ突入。
※ガ島砲撃隊の編制
射撃隊(砲撃隊《愛宕、高雄、霧島》
四戦隊直衛《長良、電、五月雨》
霧島直衛《朝雲、白雪、初雪、照月》)
掃討隊(川内《三水戦旗艦》、敷波、浦波、綾波)
- 同年11月14日深夜 第三次ソロモン海戦(十四日第二夜戦)。「電」は魚雷雷撃で大巡1撃沈、砲撃で大巡1中破を報告しているが、実際の戦果は不明。その後、沈没した「霧島、綾波」を除き戦場を離脱。
- 同年11月18日 前進部隊と共にトラックに帰投。
- 同年11月20日 トラックを出港し、ラバウルに進出。東部ニューギニアへの輸送作戦に従事することとなった。
- 同年11月23日夜 第2駆逐隊司令指揮下に「春雨《旗艦》、白露、電、磯波、早潮」はラバウルを出撃。
- 同年11月24日 第3回ブナへの輸送作戦を皮切りに、「電」はマダン、ウェワクへの輸送作戦に参加。
- 同年11月24日夜 フォン半島で空襲を受け「早潮」が被弾、炎上する。「春雨」は「白露」に早潮処分を下令。「白露」の砲撃で「早潮」は沈没。「電」は各艦と協力して生存者を救助し、早潮乗組員28名を収容している。揚陸作戦は失敗。25日にラバウルへ戻った。
- 同年12月1日 第8駆逐隊司令指揮下に「朝潮、荒潮、磯波、電」はブナ輸送のためラバウルを出撃。米軍大型爆撃機の執拗な空襲に悩まされた上に揚陸地点で大発動艇部隊との連絡がつかず、2日未明に一部物件を揚陸したにとどまった。「電、朝潮」はB-17と交戦して撃墜された友軍航空機搭乗員1名をそれぞれ救助。B-17やB-24の脅威にさらされた「電」では、効果のない13mm機銃を速に25mm機銃に換装したいと要望している。
- 同年12月8日 早朝、第10駆逐隊司令指揮下に「風雲、夕雲、朝潮、荒潮、磯波、電」はブナ輸送を実施すべくラバウルを出撃。B-24の空襲により「朝潮」が被弾。軽巡「天龍」が救援に向かう。外南洋部隊(第八艦隊)の下令に従い輸送駆逐隊は反転。16時45分ラバウルへ戻った。
- 同年12月11日 夜、「風雲、夕雲、荒潮、磯波、電」はブナ輸送のためラバウルを出撃。ニューアイルランド島カビエンで待機する「熊野、鈴谷、望月」と合流する。「荒潮、電」は重巡「鈴谷」から燃料補給を受けたのち、迂回航路でブナへ向う。途中、輸送隊の掩護・哨戒をおこなっていた一式陸上攻撃機がB-24と交戦して不時着。「電」は搭乗員8名を救助した。
- 同年12月14日 ブナ揚陸は成功したが、空襲で「荒潮」に数名の死傷者を出している。
- 同年12月中旬 日本軍はニューギニア方面作戦を進展させるため、ニューギニア島東部のマダンとウェワク攻略作戦(ム号作戦)を発動する。
※主隊(鳥海)
※支援隊(熊野、鈴谷)
※東部ニューギニア方面護衛隊(天龍)
※ウェワク攻略部隊(巻雲、夕雲、風雲、清澄丸)
※マダン攻略部隊(荒潮、涼風、電、磯波、愛国丸、護国丸)
※母艦航空隊(隼鷹、阿賀野、磯風、浜風、他駆逐艦1)
という兵力部署が決定。
- 同年12月16日 各隊はトラック泊地やラバウルを出撃。それぞれの攻略目標へ向かった。ウェワク攻略隊の作戦は成功した。
- 同年12月18日 「電」の所属するマダン攻略部隊は米軍の空襲により「護国丸」が被弾。さらに揚陸中、米軍潜水艦アルバコアの雷撃で軽巡洋艦「天龍」が轟沈。第十八戦隊旗艦は「磯波」に変更された。このような被害があったもののマダン揚陸はおおむね完了し、攻略部隊は20日午前中になってラバウルへ戻った。帰路にて「電」はB-24と交戦して撃墜された零式艦上戦闘機の搭乗員を救助した。
- 同年12月下旬 外南洋部隊はガ島への輸送を強化するため、第17駆逐隊司令指揮下の「谷風、浦風、磯波、荒潮、夕暮、電」が陸兵物資を搭載して、26日夕刻ラバウルを出撃する。ショートランド泊地を経由して27日夜のウィックハム揚陸に成功。翌日朝にショートランド泊地へ戻った。
- 同年12月30日 「電、磯波、有明、夕暮」は外南洋部隊から前進部隊への復帰を下令される。
- 1943年1月2日 第二水雷戦隊は警戒隊(長波、荒潮、涼風、江風、巻波)と輸送隊(親潮、黒潮、陽炎、磯波、電)という戦力を揃え、各艦にドラム缶を搭載してショートランド泊地を出撃。ガ島へ向かった。夕刻、米軍軍小型機約20の襲撃を受け「涼風」が損傷。「電」は「涼風」を護衛して輸送隊から分離。
- 同年1月3日 早朝、ショートランド泊地へ戻った。「涼風、電」が欠けたものの「鳥海、鈴谷、熊野」所属水上偵察機隊の活躍もあり、輸送作戦は成功した。
- 同年1月6-7日 駆逐艦「電、磯波、有明、夕暮、天霧」は、空母「瑞鶴」、戦艦「陸奥」、重巡「鈴谷」を護衛してトラック泊地を出発。
- 同年1月12日 「陸奥、電、磯波」は横須賀に帰投。1月17日から2月5日まで修理。艦橋前に13ミリ連装機銃1基が装備されたのはこの修理の時とも推定されている。
- 同年1月30日 「電」は北方部隊に編入。挺身輸送部隊に属した。
- 同年2月から3月中旬 幌筵島周辺で行動。
- 同年2月20日 第一水雷戦隊旗艦の軽巡洋艦「阿武隈」とともに特設巡洋艦「粟田丸」を護衛。キスカ島への輸送作戦を成功させる。
- 同年3月23日 第五艦隊主力と共に特設巡洋艦「浅香丸」と陸軍輸送船「崎戸丸」を護衛。幌筵島を出撃してキスカ島に向かう。
- 同年3月27日 第五艦隊は米軍艦隊と遭遇。アッツ島沖海戦が生起する。旗艦「那智」。
※日本艦隊
※主隊(第二十一戦隊《那智、摩耶、多摩》、第21駆逐隊《若葉、初霜》)、
※護衛部隊(第一水雷戦隊《阿武隈》、第6駆逐隊《雷、電》)、
※「ロ」船団(浅香丸、崎戸丸)
「電」は海戦の直前に「浅香丸、崎戸丸」を護衛し北西方向に針路を変え、海戦自体には参加せず。「電」に戦果はなかったが「那智、摩耶、多摩、阿武隈、若葉、初霜、雷」の戦闘は稚拙そのものだったため、「電」側は戦闘に参加した第五艦隊各艦の消極的姿勢を強く非難。その後、北方海域を離れる。
- 同年4月1日 第六駆逐隊は新編成の第十一水雷戦隊に編入。
- 同年4月15日 内南洋部隊に転属。以降は、日本本土とトラック間の船団護衛任務に従事する。
- 同年4月16日 横須賀に帰投。30日まで整備が行われた。
- 同年5月5日 トラックに進出する練習巡洋艦「香取」の護衛が内南洋部隊での初任務である。以降、12月までの間、「雷」とローテーションを組んで横須賀とトラック間の船団護衛任務で7往復、平均して1か月あたり1往復と4分の1回のペースで船団護衛任務に明け暮れた。
- 同年10月6日~24日 横須賀海軍工廠で修理を受ける。
- 同年11月 護衛任務に戻る。
- 同年12月 陸軍部隊をトラックからクサイ島まで輸送。
- 同年12月27日 「響」とともに空母「飛鷹、龍鳳」を護衛してトラックを出港。
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